排除の構造には大別して二通りのものがあります。
ひとつは立体的な排除の構造、もうひとつは平面的な排除の構造。
排除ゲームの参加者たちはいずれの場合にもおのれの存在確保を目的としていますが、その確保手続きを異にするわけです。
まず立体的な排除の構造というのは、その原理としてはマルクスが価値形態論で展開したことに尽きています。
商品たちがおのれの商品としての存在を確保するために、寄ってたかって(=共同主観的に)ある特定の商品を特権的な地位に祭り上げ、そうすることでその特定商品にゾチアーレ・マハト(社会力)を持たせる。
その特定商品は他の商品たち全員から交換を求められる(目支持される)立場にあることによって、それ自体で社会的な通用力をもつ。
・・・商品たちは、いったんそのような特権者(つまりは貨幣)をつくり出しておいたうえで、この特権者と関係する、すなわち交換関係を結ぶことによって、おのれの社会的通用力を確保します。
実際に社会的通用力を確保できる(11売れる)かどうかは特権者サイド(商品の買い手)の意向次第なのです。
少なくとも、商品たちがおのれの社会的通用力(11社会的存在)を確保するための機構はすでにそこに成立しています。
商品たちは元来は同一平面にうごめく、なお売れるための機構をもたぬ非社会的な存在でしかなかったけれども、共同の力で、そこに、ある特権者を頂く立体構造をつくり出すことによって、言い換えると・・・
一者を除いてはみな特権者に成り上がることを断念することによって、かえっておのれの社会的存在を確保します。
このような論理構造をもつ価値形態論は、ゾチアーレ・マハトの存立構造を一般的にも明らかにするものとして、まこと、神秘開示的な魅力をもっています。