連帯を求めず、孤立を恐れ、そしてこんな調子の「個性」とやらを追い求めています。
「個性」という言葉が氾濫しているのは、実質の不在を示す証左にほかならないでしょう。
さて、話を元へもどすと、孤立化への恐怖や仲間づくりへの強迫観念にもとつく仲間づくりとは、いったい何なのでしょうか。
人間が「とほうもない期待」の海に浮かぶ藻くずのごとき存在状態にあることの一具体相として、「自分」という存在が仲間の一員であることによってしか維持されないという状況があります。
そういう仲間づくり、仲間入りはしかし、だれかを仲間外れにすることをその半面に伴っています。
首尾よく仲間の一員たりえた者は苦労して栄冠を勝ちえた者にほかならず、ある種の優越意識をいだいている点ではいわゆる一流校の合格者と同類です。
しかし、そこには、他者を排除することがつねに付きまといます。
そうした仲間入り意識や合格者意識は「いじめ」の心性と同根のものなのです。
いじめは、仲間入りや合格を陽画とする陰画にほかなりません。