必ずしも相手を「かけがえのない存在」として求めているわけではない。
女もしくは男を代替可能なエネルギー放出対象として利用しているケースが少なくないのです。
・・・そういうたぐいの「愛」は、ここで「連帯」と並べて取り上げるに値しません。
相手を代替可能なエネルギー放出対象としてではなく、ほんとうにかけがえのない存在として「愛」しているのなら・・・
たとえ何らかの理由によって関係が途絶えたとしても終生ずっとその人のことを思い続け、その意味での「愛」が持続するのでなければなりません。
それが、かけがえのない相手としてその人を「愛」していることの証となるのです。
そうではなしに、生別であれ死別であれ、ある相手Aと別れたあと別の相手Bと「愛」の関係に入るというようなことになれば。
少なくとも形の上では、「あちらがダメならこちらがあるさ」というありきたりのパターンになってしまいます。
言いわけは無用。
相手Bに鞍替えしたのは、精神的、肉体的、あるいは経済的なあれこれの理由があってのことでしょう。
それはそれで多くの場合もっともな理由であるにちがいありません。
ですから、ここではそういう鞍替えを非難したりなじったりするつもりはありません。
今日では、それはごく当たり前の一般的な在り方です。
いえ、今日に限りません。
パターンとしては昔からそうです。
ただ、それが大量現象として生じているのがまさに今日的なのです。